およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

整理、逃げる、新宿の街

Twitterのフォローを整理した。最近Twitterを見ていないことが多いから、たまに開いたときに、居心地の良い環境にしたかった。

 

少し前は、コロナのことや災害のこと、社会問題、様々な事柄の、自分が信頼できると思える人々のTwitterをフォローしては考え、こころを痛めて、また考えることをしていた。いまは日々、気力体力の限界まで働いて、行き帰りの電車でこうして言葉を書くことがたのしみで、朝起きてすこしラジオを聞くのが楽しみで、少し楽器に触るのがたのしみで、土日にやっと本を読むことができるくらいには仕事に慣れたのでそれが楽しみで、目の前30センチくらいのことしか、自分の中に受け入れることができない。

 

上間陽子さんの「海をあげる」を読んで、わたしは「絶望を託された」のに、いまの自分には託された絶望を、忘れぬように、大切にしまっておくことしか、できないみたいだ。

 

いつかもっと仕事に慣れたら、この生活に慣れたら、また外に目を向けることができるだろうか。それとも、わたしの目は、閉じて、どんどんと、内側の空想に、逃げてゆくのだろうか。

 

内側に向くことを「逃げてゆく」と、思うのは、なぜなんだろう。誰が、わたしを逃げているといった?

 

今日は晴れ。イヤホンからはなんの音も流していない。心は凪。落ちても上がってもいない。改札を出て階段を上がったら、日が昇った新宿の街がわたしを待っている。カラスが旋回し、たべものを探して、大きな羽根をうつくしく広げている新宿の街が待っている。