ミルフィーユを夢に見るクレープ
穂村さんの「短歌の友人」が、なかなか難しくて読み進められない。読んでいると眠くなってしまう。作品を批評、解説している文章が苦手だ。作品を読むことはできるんだけど。
批評、解説、そういうのも勉強になる。もしかしたらそれをこそ読むべきなのかもしれない。でもなあ。目が滑る。知識がないからと言われたらそれまでなんだけども。現代詩や短歌について、おもしろいなあ、という批評、解説、座談会形式の特集、きっとどこかにあるんだろう。
目が滑るのは、書かれている言葉がわたしに結びつかないから。まだ、わたしの言葉が、貧相なのだ。過去の流れを汲んだ上での今があることの重み、事実を、掴みきれない。
今しかない、ような感覚で生きているから、広く、横に広く、過去と今を繋いで、時代と今を繋いで、語る言葉にわたしの身体は追いつかないんだな。