人の良いところだけ
他者の良いところだけ見ていたい。でも世界はそのような仕組みにはなっていない。
社会性を持っていなければ人間として生を全うすることは至極難しい。私は社会性に欠けている、と言えたらどんなにか楽だろうと夢みる気持ちがある。
他者の良いところだけ見ていたい。他者と他者の、網目のような関連図に絡め取られずに、個と個と個として、それぞれの良いところだけ、耳にし目にし、感じ入りたい。
でも世界は、そのようにできていないのだ。
他者と他者の網目の中に、自分という人間がいる。私は他者を他者として切り離すことがとても苦手だ。個と個、個と個として生きている状態が前提で、そのようにして、他者は網目を作っているんだろうに、私はまるで網目でその他者と接続してしまった気持ちになる。
だからその他者が、別の他者から否定されるような言葉を浴びせられていると、ひどく「傷つく」。否定された言葉を浴びせられた本人があっけらかんとしていたとしても。
人生は、どこまで行っても学校生活の延長のようだ。なぜだろう?そうではない場所だってきっとどこかにあるはずなのに、私の選べる選択肢には、もう残っていなかった。
これからそうじゃない場所に行けるのだろうか?個と、個、それだけの繋がりで、他者を尊ぶだけの関係で、仕事ができる場所があるのだろうか。
自業自得という4文字が聞こえる。そんなことは知ってるよ。知ってて足掻いてる。処世術なんてクソ喰らえ、おれは社会性のない人間ですので、と、大きな声で言えたなら。そのまま堂々と前を向いて歩いていけたなら。
そんなこと、わたしの性質にはどこにも書いていないんだ。ただ網目の中で右往左往している。これは練習。他者と自分を切り離す練習。わたしはあのひとじゃない。あのひとが傷ついていないならそれで良い。それで良い。呪文のように言い聞かせる。
呪文のように言い聞かせても、自分の真ん中にあいた穴が塞がらない場合は、大きくなっているような気がしてくる場合は、穴を吹き抜ける風が巻き上がって胸を詰まらせる場合は、どうしたらいいんでしょうか、「先生」?
そこにいるんでしょ、先生。どこかに教壇があって、先生がいるんでしょ。
はやく答えを教えてくれよ。