およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

今日、彼女とともだちになった

この数日、落ち込みが激しく、関係のない事柄と関係のない事柄が網目状にくっついては球をつくり、そこかしこで自分の足を絡め取っていた。

 

何が私を底に引っ張ろうとしているのか、正体はこれのはずなのだと乾いた目で見つめ続けて、口で呼吸し、仕事から帰って泥のように眠ったのが金曜日。

 

土曜日の朝、まだ胃に網目状の球、糸くずがぱんぱんに詰め込まれていて、ただそのままうづくまり続けた。でも、バンドの練習のためにピアノを弾き、7キロのキーボードを担いでスタジオに向かい、2時間声を出したところで、ぽろぽろと糸くずが消えてゆく感じがした。

 

そして夜が来た。

私の住む関東でも揺れは大きく、10年前のことを思い出した。

あの時もただ口を開けているしかできず、台所では何かが落ちて割れ、扉を開けて外に出ればいいのに、私はただ窓をあけてベランダにすわりこみ、部屋の中で揺れて溢れそうになる金魚を見ていた。

 

昨日もただ「怖い」を連呼することしかできず、ただ布団にうづくまり、揺れが収まるのを待っていた。

非常時に強い同居人はパッと飛び起き、飼っている生き物たちのガラス製ゲージを抑えながら、「大丈夫!落ち着いて!」と声をかけてくれた。

 

しばらくして揺れが収まり、震える手で実家の母の安否確認をして、いつのまにか眠りについた。

 

夜が明けて朝になったとき、最初に思い浮かんだのは、遠く離れた福島に住む友人のことだった。

彼女はわたしが所属しているバンドの「ファン」だと公言してくれる人だ。出会いもライブハウスで私たちの音楽を聞いて、彼女が声をかけてくれたことが始まりだった。

 

「友人」と書いたけれど、彼女が福島に移住するまでは、私と彼女は、「バンドマン」と「お客さん」だったと思う。少なくとも私にとってはそうで、「ともだち」と呼ぶのは、とても烏滸がましい気がした。

 

彼女は結婚し、出産、育児のために移住した。

コロナが流行るうんと前のことで、私は、彼女が東京を離れてしまうことをとても淋しく思った。

 

でもまだその「淋しさ」は、「せっかく私たちの音楽を聞いてくれる人がいたのに、またいなくなってしまった」という、利己的な思いだったとおもう。

だから私は彼女を「ともだち」とは呼べなかった。己が烏滸がまし過ぎて、心の中でさえも、呼べなかった。

 

でも今朝、1番に頭に浮かんだのは、彼女と、彼女のパートナーと、お子さんのことだった。

 

東京でこれだけ揺れたのに、彼女の家は大丈夫だったろうか。断水は?停電は?物が倒れて怪我はしていないだろうか。

 

心配だった。「ともだち」って呼べないのに、心配で、胸が苦しかった。

 

朝早くて悪いなと思いつつ、なんともなければ杞憂で終わったと笑い飛ばしてもらえればいいやと、早朝にTwitter経由で連絡を取った。

 

昨日は大丈夫でしたか?

怪我はないですか?

よく眠れましたか?

○○ちゃん(お子さんの名前)もお二人も、きっと怖かったよね。

こちらは大丈夫だったのだけど、心配で、お節介かと思ったけれど連絡してしまいました。朝早くごめんね。

 

正午を過ぎたころ、彼女から返信があった。

 

こちらは物が倒れたけど大丈夫だよ!

心配してくれてありがとう。

○○も少し起きたけど、すぐにすやすや眠ってくれました。

✖️✖️✖️(私たちのバンドの名前)の音楽に毎晩癒されてるよ。○○も一緒に聞いてます。

これからも私は✖️✖️✖️のファンだからね。

ありがとう!

 

私は、彼女のことがとっても大好きで、大切だなと思った。

生まれた場所もどんな学生だったかも、どんな風に社会で働いてどんな風に恋に落ちてパートナーの方と結婚したのかも、彼女のことを私は何も知らない。

どんな癖があって、何が嫌いで何が好きで、何が得意で何が苦手かも、何も知らない。

 

私たちはライブハウスで音楽を通して出会った。交わした会話だって縮めれば3時間にも及ばないかもしれない。ライブハウス以外で会ったこともない。

 

だけど、それでも。

私は彼女がとても好きだ。彼女と、彼女のパートナーと、彼女のお子さんが、どうか健やかに生きていける世の中でありますように、と、願うほどに、彼女のことが大切だ。

 

今日、彼女は、私の中で「ともだち」になった。彼女が私をなんと思っていてくれても良い。いつかお互い忘れてゆくのかもしれない。

それでも今日、私は、彼女のことを「ともだち」だと思った。

 

気がつくと、胃に詰まりに詰まった糸くずは、昨日よりもっと、消えていなくなっていた。