5年前の己をディグったら
5年前のメモをディグったら、ここにも残しておきたくなったので、貼り付ける。ペースト。ぺっ!
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「音楽に愛されている」なんていう言い方がある。
「全てが音楽に聞こえる」とか、「全てが音楽にみえる」だとか、そういったかっこよい言葉がある。
残念ながら、私はそういう経験をしたことがないな。
「音楽に焦がれている」とか「音楽に恋している」とか、そういった類の気持ちも、経験したことがないな。
だからといって、他の何でもいいってわけではなくて、音楽をしたいと思って、音楽をしている。
シャーマンのように、憑依されて歌うタイプでもなければ、ロックスターのように、とてつもない絶望をぶつける歌でもない。
男に失敗したこともなければ、酒に溺れたこともない、ただ、ちょっとずつ「集団行動」において失敗して、いまも失敗し続けている気がしていて、「社会で生きること」の正解や不正解を、白と黒にわけられないことを、考えたり、残念に思ったり、理解ができなくて苦しかったり、感動したり、している。
いつも、すこしの劣等感と、ふつふつとした怒りと、憧れと、嫉妬、それを抑えている「理性」、そういう「普通のこと」を通して、感じたり、考えたりしている。
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昔は、自分の身に降りかかる出来事すべてに「意味がある」と思っていたけど、いまは、「意味がある場合もあるし、意味がないこともある」と思うようになった。
「意味がない」≠「価値がない」ではないと思うようになったから。
意味がないのは、価値がない、ではない。
どんな人だろうと、価値はある。だから、どんな人にも、元々は等しく生きる権利がある。それを他人がいたぶったり、ばかにしたり、ないがしろにしては「いけない」。
だけど、それを尊重していくことこそが、とても大変なことだから、社会のいろんなルールがあるのかな。
今日のメモでした。