およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

女でもマザコンになる、毒親と呼べない人へ

女でもマザコンになる。私は生粋のマザコンだ。だからいわゆる「毒親」本が読めない。なぜなら「毒親」本は、親のことについて、辛い思いをした方々が、その痛みや不条理を吐露し、おそらくは、親からの呪縛から逃れた、という話だろうと思うからだ。

 

思うから、というのは、「毒親」本を読んだことがないからだ。推定にならざるを得ない。内容がとんちんかんだったら本当に申し訳ない。決してその著者の方々を否定している意図ではない。

 

私は母からいじめられたこともない。暴力を振るわれたこともない。ごはんもちゃんと与えてもらったし、進学を阻まれたこともない。自分がやりたいことに否定的な意見を言われたこともない。かと言って過保護にされたこともない。やることなすこと全て指示通りにしてほしいなどと言われたことはない。癇癪を起こされたこともない。本もたくさん与えてもらった。だから私は母にわだかまりを感じる要素など、ないはず、なのだ。

 

大人になって母は私から「自立」した。仕送りももらっていない。

 

でも私はマザコンだ。私だけがマザコンのままだ。成人になってかれこれ10年以上経つのにいまだに、私は淋しい。母に愛されたいと願っている。

正確には、「私が欲しい分だけ、欲しい時に、満たされるまで」母に愛されたいと願っている。これをマザコンと呼ばずしてなんと呼ぶ。

相互依存ではない。私が依存しているんだ、一方通行で。

 

このことを、心療内科の先生は、「お母さんとあなたは、相性が悪かった。どちらが悪いわけではない」と言った。

「どちらが悪いわけではない」という一言に、安堵した。

 

私はマザコンだ。母が恋しい。母に愛されたい。でもそれは私のせいでも、もちろん母のせいでも、ないのだ。

 

淋しい気持ちはなくならないだろう、とも、先生は言った。

そうか、と思った。

 

これは、この世の中に数多ある「仕方がないこと」なのだなと、思った。

 

毒親と呼べなくても、仕方がないのだ。

だって私は母が好きだから。一方通行のまま、ずっとずっと大好きだから。