およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

名付けようのない気持ち

「ぼくとねこ」という作品を読んだ

rookie.shonenjump.com

 

-!!以下ネタバレを含みます!!-

 

 

 

世界観は今の現実社会と一緒。

よくわからない霧に包まれ始めて、いつの間にか主人公は外の世界に出られなくなる話。

その中で主人公は「ねこと暮らしたいなあ」と思う。

そして偶然にねこと暮らすチャンスを得る。

ねこと暮らすために外出禁止の外に出る。

ねこの餌を確保するため。自分の食料も確保するため。

はじめは近くから、段々と遠くへ。

ねこはこの世界の中で、現実社会と一緒でねこのまま。

話もしないし人間のために都合よく動いたりもしない。

ねこはねこ。

主人公も現実社会と一緒。

何の力もないただの人。

大きい災害なのかどうかもわからないまま世界に取り残されたただの人。

本当のことを言うと「世界に取り残された」のかどうかもわからない。

ただねこと、自分以外の人が「近くに全く見当たらなくなった」だけ。

そしてねこのことが好きで、ねこと一緒にいたい、ずっと一緒に生きたいと願うただの人。

電気が途絶え水も途絶え、食料の在庫が尽きれば、歩いて探しに行かねばならないただの人。

車すらない。もちろん空も飛べない。超絶強いなにがしかのパワーがあるわけじゃない。

ただ、ねこと暮らしたいと切に願うただの人。

 

淡々と主人公の気持ちが描かれる。

漫画も白いバックと黒い線だけ。

主人公はつるりとした棒人間に服を着せたような顔。

でもねこは、とてもねこらしい描写。

それは、「ねこ」が「ねこ」だから。

あたたかく、まあるく、すぅすぅと息を吸い吐きし、飯を食い、伸びをし、ぼーっとし、初対面の人には警戒心丸出しで隠れて出てこず、慣れるまで時間がかかる。

この漫画のねこはそういう「ねこ」。

「ねこ」だけが、とても丁寧に描写されている。

主人公の眼差しに、「ねこ」だけが、くっきりと輪郭を捉えられるものだから、なのかもしれない。

外の世界がどうしてこうなったのかもわからない。

主人公はただの人で、いつのまにかみんないなくなって、外出禁止の理由になっていた霧だけは存在していて、霧を吸うと死ぬと言われているけれど、本当のことを言うと、「霧を吸うと死ぬということ」すらも、確かなことかわからない。

 

何一つ確かなことがない。

たった一つある確かなことは、目の前に現れたねこの存在だけ。

ねこの毛並み、吐息、食べ物を与えなければ死んでしまうという事実、ねこの眼差し、丸さ、そして「あたたかさ」。

 

主人公はただの人で、魔法使いでも何でもないから、食わさねば死んでしまうねこのために外に出る。

外に出て食料を調達して家に帰る。

ただの人だから歩いていくしかない。計画通りにもいかない。

でもそこは詳細にはかかれない。

ただ、主人公の気持ちだけが羅列される。

主人公の気持ちの真ん中には「ねこ」がいる。

「ねこ」だけがいる。

外に出てしまって、うまくいかなくて、帰れないかもしれないと思う瞬間がある。

でも「帰るんだ」と思い直す。

だってねこが待っているから。

たった一つ目の前にある確かな命が待っているから。

だから帰ると、思い直す。

 

--ネタバレ以上--

 

 

緊急事態宣言が出ても、私はテレワークができる仕事ではなく肉体労働者なので、外に出る。

スーパーが営業しているから、それでもなるべく人が混み合わない時間にささっと買い物を済ませて、家に帰る。

たまにお茶を飲みに言ったり、ご飯を外で食べたりするけど、それも家族のようにだいたい一緒にいるバンドメンバーとだけ。

飯を食ったらすぐ帰る。

外に出る時はマスクをつける。

マスクの備蓄は常に切らさないようにしている。

外に出るときにマスクを忘れると慌てて戻る。

それがもう日常になった。マスクをつけていないと慌てるなんてこと、一体いつから体に刷り込まれたのかもうわからない。

 

外出先では消毒液があれば必ず消毒する。

帰宅したら服を脱いで部屋着に着替えて手を洗いうがいをし、もう一度消毒する。

もともと友達も全然いないし、バンドメンバーとしか会わないし、人混みが苦手だし、だから大きく生活が変わっている実感は正直なかった。

ライブ活動をしていいのかどうか、という問題はその都度考えるしかないと、もう腹も括っている。

 

それで、大してストレス溜まっていないと思っていた。

でも、どうやらそれなりにストレス溜まっているらしい。

みんなもそうなのかもしれない。

私は他人のことがうまくわからないから、全然気にしてない人もいるかもしれないけど、それならそれで幸福なことだと思う。

でも、この世界の状況がストレスになってしまっている人と、気にしていない人の差だけは、はっきりわかる。

それはいつか「分断」につながるんじゃないか、というかもう、「分断」されているんじゃないかと思ってしまう。

それが私を不安にさせる。

なぜか。

「ぼくとねこ」のような世界が、すぐそこにあるんじゃないかと、潜在的に思っているからなのかもしれない。

 

最近は、メンバーから「面白いよ」と教えてもらったアニメや、新着の映画、ドラマをNetflixで観たりした。漫画も読んだ。

よくできたアニメや映画、ドラマ、漫画ほど、隙がなくテンポよく、話にどんどん見入ってしまう。

特にNetflixはエンディングが流れればすぐに次のエピソードの読み込みが始まるから、最後までどんどん観てしまう。

面白ければ面白いほどそうなる。

でもふと気づいてしまった。

ゾンビが出て街が壊れる。人がどんどん死んでいく。なにがしかの目的のためにこどもが生贄みたいに扱われる。仲間がどんどん死んでいく。世界が終わりに向かっていくとか、そういうやつ。

教えてもらったちゃんと聞いたことのないアーティストの音楽も聞いてみた。

「明日世界が終わる」って言ってる人が多かった。

たまたま聞いた曲がそうだっただけかもしれない。

すごいなあ、かっこいい音楽だなあと思って聞いていたら、「明日世界が終わる」って言っていた。

それが大衆に受け止められている。そうなんだ。そうかあ。

 

私はもう17才じゃない。

だからただ感傷に浸ることができない。

世界が終わる、は大げさにしても、世界が変わっている、ものすごいスピードで変わっていって、あの国の分断も、もはや日本にないとは言い切れないって思ってる。

というか多分「分断」はある。

インターネットの世界にすでにあるように。

分断している。

目の前にある現実がこんなに不安定なのに、エンタメの作品も刺激の強いものが多い、気がした。

みんな強いなあ。どうしてそんなに強くいられるのか、揶揄じゃなくて、本当に本当に教えてほしい。

みんな準備しているの?世界が終わることに対して?

分断している世界に順応できるように準備しているの?

 

私は分断していることを、分断が存在していることを、どう捉えたらいいのかすらわからない。

わからない、と思っていることに直面してしまった。

だから不安なのだ。不安に思うだけで、ただおろおろしている。

だって私はただの人だから。

「穴」に落っこちてしまった。

この分断をどう受け止めればいい。どう順応していけばいい。

頭がまわらないほど、私はこの状況にストレスを感じているみたい。

ストレスに感じ、悲しくて、怖くて、不安に思っているみたい。

感傷に浸れない代わりに、当事者として、巻き込まれにいっている。

本当は、切り離さなくてはいけないのにな。

自分とこの状況を切り離さなくては、立ち上がることができなくなってしまうかもしれないのに。

 

だからわたしも、「ねこ」がいてくれたらなあと、思った。

この主人公にとっての「ねこ」のようななにかがあったら、私のこの不安はきっと、この世界と切り離される。

目を開けることを拒んで焦点をずらそうとしている自分の瞳に、たった一つ確かなものを捉えることができたなら。焦点を合わせることができたなら。

立ち上がることができるはず。

立ち上がることができるはずなんだ。

 

今はただ、名付けようのない気持ちが、胃に、腸に、心臓に、血液に、肺に、手先に、指先に、隅々まで広がっている。

広がり続けている。