私家版を作ったら正体が見えた
2020年の11月に生まれて初めて私家版を作った。
遡れば2019年の11月に松下育男さんの「詩の教室」を見学させてもらって、通信講座の受講生になって、歌詞(ふだんはインディーズバンドでボーカルやってます)ではない詩を書くようになって、書いて見てもらって感想をもらって、現代詩手帖読むようになって、詩集読むようになって。
でも本当は、ずっと昔から書いてた。歌にならない詩をたくさん書いてた。10代の時に書き溜めた詩のノートはどこかにいってしまった。
そのあとバンドをはじめて歌詞しか書かなくなった。歌詞に「なれない」詩もあったけど私の中でそれは「0」に等しい存在で「1」としてカウントしていなかった。歌詞を書くことと詩を書くことを分けられるほど頭が良くないから。
2019年諸々のタイミングが重なり、ふと、「詩、書きたいな」「詩、勉強したいな」という自分の気持ちに気がついた。
色々なものを失ったからだと思う。色々試してもなんだか上手く続けられなくて、結局失くしてみて、はじめて、気がついた。
縋った、と言ってもいいのかもしれない。
言葉だけは、書ける。言葉を書ける自分はまだ残ってる。
だから松下さんの詩の教室の門を叩いた。
2019年11月からちょうど1年後に、生まれて初めて私家版「吠える」を作った。
自費出版はお金がかかりすぎて無理だったからオンラインで印刷所に発注した。
収録する詩の選定と、印刷所のテンプレート使いながら表紙のデザインから奥付まで全部1人でやった。
世界に10冊しかない私の詩集。
3冊を中原中也賞に送った。
1冊を松下さんに送った。
残りは私の手元にある。
正直、詩集を作ることがこんなに嬉しいと思わなかった。詩を、詩集にすることは、作品を纏める以上の意味がある。
どんどん作っていったらまた意味が違ってくるのか。
それなら知りたい。もっと作って知りたい。次の詩集を作ったらどんな気持ちになるのか知りたい。見てみたい。
はじめての詩集を作って見えた私の詩は今まで思ってた私の詩じゃなかった。
知らなかったわけじゃない。気づいていなかったわけじゃない。だけど、纏めたことによって立ち上がってくるそれは、私が知らない私の詩だった。
私家版を出したあとから、書くことが変わった。
もしかしたらこれは詩じゃないのかもしれない。
ポエムなのかもしれない。
よもすると詩でもポエムでもないのかもしれない。
でもどっちでもいい。
私ははじめて私家版を作って新しい自分の言葉を手に入れた。
いまはそれを取りこぼさないように追いかけている。一滴ずつ一滴ずつ、両手で掬い続けている。