有期雇用と無期雇用
出川哲朗にそっくりな背格好の、出川哲朗ではないおじさんが、颯爽と自転車で駆けて行った。
緑色のTシャツにヘルメット姿だった。
色々と違う点があるのに出川哲郎みを感じる不思議。
8時から開店しているスターバックスに向かうべく、開店直後のPARCO内を歩く。
各テナントの店頭にお姉さんが立っており、通り過ぎるお客に頭を下げる。
あの時間は何だろう。
私は矢も盾もたまらず、速歩で駆け抜けてしまう。気恥ずかしすぎて。
たいていの人がそうじゃないだろうか。
ゆっくり頭を下げてくれるお姉さんたちに満足を覚える人なんて、果たしているのか。
考えてしまうのは働くことについて。
たとえばスターバックスのお姉さん。アパレルのお姉さん。ここでずっと働いて、身についたスキルは、私はスキルだと十分に思うけど、ある世界ではきっと、スキルとは呼ばない。
「ここにいても成長はない」の、「ここ」にされてしまうのではなかろうか。飲食や、アパレルというのは。
少なくない数の人が契約社員で、そこで得られた仕事を円滑にまわす力は、無きものにされているというか。そこには目を向けないのが普通というか。
長い人生だから、今はいいけど、正社員になってボーナスをもらったほうが、貯蓄もできるし、雇用期間に定めがないほうが、安心して暮らしてゆける、ってことだよね。きっと。世の中が言っていることは。
契約を切られてものすごく不安になったから、雇用期間に定めのない労働は、とても良いものだということは、わかる。きちんとわかる。
でも、一旦その土壌にあがったら、そこからどんどん「上」を目指さないといけないのではないのか?
昇進を目指してゆくのが普通というか、会社はもちろん会社をよくしてゆく人が欲しいのだから、会社を前に進めてゆくような力のある人をこそ、欲しいってことだろう。
でも、私は、無期雇用は大喜びで受け入れるけど、上昇志向は、自分にとてもそぐわないと思っている。
無期雇用されたい、でも、そのままで、それ以上偉くなることなんて、したくない。
仕事に責任を持って取り組むのは当たり前だし、どんな業務もちゃんとやるのは当たり前だし、何かうまくまわっていないことがあれば、試行錯誤して働くことは当たり前だけど、上を目指すことが正義、みたいなのは、どうしてもよくわからない。
偉くならなくていいから、安心して働けて、きちんと月給をもらえて、ボーナスもいらない。(もらったことがないから)
それだけで十分なのに、それを無期雇用に求めようとすると、とても難しい感じがする。
難しいと、思ってしまう自分がいる。