およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

一周まわっておしゃれとかいらない

もう12件も日記を書いている。よしよし。

 

天気雨のなか、面接にむかっている。

久しぶりの長袖長ズボンはとても暑苦しい。

ファンデーションをはたいた顔は、なんだか少しだけむずがゆい気がする。

黒いパンツに白いシャツにリュックという出で立ちは、かなり心地よい部類に入る装いだ。足元はもちろんスニーカー。オフィスワークでなく肉体労働の面接なのだから、これが妥当な線じゃあないかと予想するけど、これは誰にとっての「妥当な線」なのかわからない。

 

歩きながら、なんとなく自分の体が前よりも大きくなっている気がする。

いくら筋肉がついたとはいえ、それを上回る量の脂肪がついているのだろうと思う。

152センチの51.8キロは、デブの範囲なんだろう。でもこれも、誰の「範囲」なんだかわからない。

ただ、今より7キロくらい痩せていた時は、なんとなく、今よりも自信があった気がする。これも誰から得ていた「自信」なのか、うまく正体を掴めない。

 

ずーっと、成仏できない三途の河のほとりのように、おんなじことをぶつぶつ考えている。

でもさっき、声に出して気がついた。

わたしが劇的に救われた音楽をやっていた人たちは、容姿端麗ではないほうの人たちで、着飾ることに無頓着なほうの人たちだった。わたしは、そういう立ち居振る舞いに憧れて、あのように、あの人々のように、ある程度の「素」のままで、おのれの表現したいものを演奏することができたなら、どんなにか素晴らしいだろうと思っている。わたしはそれがやりたかったのに、だのにどうして、それをやることが「できなかった」と、地団駄踏んでいる。

 

素朴なのに一周まわっておしゃれとか、そういうのは欲しくなかった。「おしゃれ」とか「おしゃれ」じゃないから、切り離されたところで、音楽をやりたかった。

だのに私は、それができなかった。なにを言われようと関係がない、とは、振る舞えなかった。バンドを向上させたい気持ち、ステージに立つものとして魅力的に見られたい気持ち、様々な気持ちが入り混じり、大真面目に、自分の中に居座っている「装う」ことへの抵抗を、無いものにしようとした。

 

思考が中断される。できなかったことへの羨望と嫉妬は、自分をとってもバカにする。