ラジオと天気とセンチメンタル
ラジオをつけると部屋が息を吹き返したような気がした。
部屋の四隅がぐんと広がって、呼吸をはじめたような、天井がぐんと広がって、すうと風が通るような。
他人の笑い声と会話が、みずみずしい。はねて弾けている。とても良い空間だ。
台風がまだ一過していないのに、もう過ぎ去ったような青空が見えていて、ぐんぐん雲は走り、電線はたわむ。
いつまででもそれを見ていたくて、見ている限り死にかけの創作したい気持ちを刺激されるような気がして、胸がひらくのがわかる。
センチメンタルに溺れることができるのも才能だ、と、ずっと思っている。
これは揶揄だ。嫉妬からの揶揄。純然な揶揄。
ちょっとぶっ飛んだ体のひとが語る、政治を含む社会の言葉がとても苦手だ。
そのようなひとが、人々が語る言葉を素直に受け取れない、理解に繋げられないのは、そういう嫉妬からの揶揄の気持ちがあるから。
どうしても治らない癖なのだ。
センチメンタルが怖い。怖くてうらやましい。