いい子でいたくない
長く続けることが難しい、と思っていたけれど、長く続けることが苦しい、ということに気がついた。
先週のおこころの先生との面談でわかったこと。
「何が辛いの?続けることが辛い?」
と聞かれて、はっとした。
そうです、続けることが苦しいです、続けようと思えば思うほど、苦しくなります、と答えた。
「じゃあ、『どうして』続けることが辛いのか、考えてみるといいかもしれないね。」
と言われて、そうだなと、腑に落ちたのだった。
それから『どうして』続けることが辛いのか考えていて、昨日思いついた言葉がある。
「いい子でいなくちゃいけないから、辛い。」
「もういい子でいたくない」
「続ければ続けるほど、いい子でいなくちゃいけなくなるから、そうなりたくない」
「もういい子でいるのはたくさんだ、わたしはわたしの思うように生きたい」
この言葉が出てきたとき、心がとてもすっとした。そうか、わたしはこんなことを思っていたんだ。
長く続けると、そこで人間関係ができてきて、その中でいい子でいようとするあまり、呼吸ができなくなっていく。
でも果たしてわたしは、いい子ということを求められているのかと言われたら、答えはNOだと思う。
自分が自分にいい子でいることを課している。
先生はこうも言っていた。
「これ以上自分で自分をいじめないであげてほしい。自分に向いていないことを、自分に求めているから、苦しいのかもしれないよ。」
そうだとしたら、わたしは、わたしにいい子でいることを求めていて、わたしはいい子でいることに窮屈さを感じていて、本当はもっと怒ったり、不満に思ったり、したいのだなと気がついた。
振り返ってみるに、客観的になれば、しょっちゅう仕事を休むなんて、いい子だと思われていないかもしれない可能性が高いのに、なぜかわたしは他人から「いい子」だと思われなければならない、と思い込んでいて、それに対して自分が、本気で抵抗しているのが、今回の具合の悪さの大元のよう。
いい子でいるのは、もうたくさんだ。お前の望むいい子になんてなってやらない。わたしはわたしの好きなように生きたい。わたしにはわたしの尊厳があって、無礼なことをされたら怒りたいし、違うなと思ったら違うと思いたい。お前の望むいい子は、そういうことを全部なしにして、へらへら笑っている。そんなのもう許さない。いい子でなんかいたくない。わたしの気持ちを無視するな。
と、いうことなのだ。
つまりわたしは、わたしに怒っている。すごくすごく怒っているのだ。
ないがしろにするのもいいかげんにしろ、と、泣いて抗議しているのだった。